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湾岸の千葉くんをもう一度――“音と匂い”まで蘇る、夜のビデオオプション史

湾岸の千葉くんをもう一度――“音と匂い”まで蘇る、夜のビデオオプション史
最初に「千葉くん」を画面で見たのは、古いVHSのビデオオプションだった。ケースを開けたときの少し甘い磁性体の匂い、再生ボタンと同時に立ち上がる風切り音。視界はブレ気味なのに、手持ちの小型カメラ越しに伝わるGの重さは妙にリアルで、夜の湾岸線(首都高湾岸ルート)が黒い帯のように伸びていた。私にとって“湾岸の千葉くん”は人物というより、闇と排気と笑いが混ざった「体験」そのものだ。

千葉くんは“何者”だったのか

――匿名投稿者の顔をした、編集部発の走り屋キャラクター
私が覚えている千葉くん像は、素性を隠しつつV-OPT編集部に“投稿”を送りつけてくる悪戯っぽさだ。企画タイトルもそのまま「湾岸の千葉くん」。内容は最高速アタック、同乗体験、ゼロヨン突撃、そして時に過激な冷や汗ネタまで混じる。公式の成り立ちとしては、ビデオオプション内の一コーナーに端を発し、やがて単独DVDまで派生した“名物企画”だと私は理解している。中の人が誰かについては諸説ある。編集部関係者が演じるキャラクター説が有力だが、少なくとも公式に本人が名乗った決定打は見当たらない。正体はグレー、だからこそ面白かった――これが当時の空気だ。

名場面1:JUNスープラの“買い物号”に同乗

――黄色いJZA80、直線で耳が詰まる
映像越しでも、スロットルを一息で開けた瞬間の音圧は体に刺さる。黄色いJZA80スープラ(JUNオートメカニックの“お買い物号”)の助手席で千葉くんがはしゃぐカットは、今見ても笑ってしまうほど生々しい。加速で耳がツンと詰まり、メーターの針が淡々と右に掃く。画面の外にあるのは夜気と潮の匂い、そしてダクトから流れ込む熱気だ。海外のカルチャー系メディアやアーカイブ動画でも、この“300km/h級の世界”を象徴する映像として語り継がれている。

名場面2:トップシークレットと“悪友”ノリ

――スモーキー永田と肩を並べた、あの悪ふざけ
千葉くんの真骨頂は、チューナーの懐にズケズケ入っていく“悪友ノリ”だ。とりわけトップシークレットのスモーキー永田と絡む回は、視聴者側の体温まで上げる。工場の蛍光灯、オイルの匂い、作業台に置かれたタービンハウジング。ふとした雑談から話が膨らみ、次の瞬間には夜の道路で車載へ――その落差が気持ちいい。編集は荒っぽいが、だからこそ現場の温度が残る。

名場面3:“湾岸=大黒・芝浦・辰巳”という集合知

――PAでの軽口から始まる夜、ローリングとゼロヨンの境目
千葉くんが映すPA(パーキングエリア)の空気感は、当時の“集合知”だ。大黒PAの金属的な照明、芝浦PAの湿気、辰巳第一の路面に反射するテール。そこにFD3S、R34、JZA80、さらには33系やS直列の怪しい音が混じる。ゼロヨンの“距離”とローリングの“速度域”が言外に交錯し、クルマのキャラとオーナーの矜持が会話の端々に滲む。千葉くんはその中心で、茶化しながらも要点を引き出す“カメラの化身”だった。

“やり過ぎ”も含めて一本の線

――だからこそ今はサーキットで真っ当に
千葉くんのアーカイブには、今の価値観では眉をひそめる場面もある。例えば“オービスを光らせる”系の悪ふざけや、無茶なアタックの演出。ここははっきり書いておきたい。公道での速度超過や危険行為は当然ながら違法で、再現は論外だ。あの時代はメディアの表現も含めて“粗い”。ただし、それらを理由に文化史としての価値まで消してしまうのは違う。記録は記録として残し、速さの探求は安全な場所で続ける――この線引きが、私たちの世代の責任だと思う。

2005年の“単独DVD化”という事件

――一本に固められた熱量は、今見ても胃にもたれる
当時、編集部はついに“湾岸の千葉くん”を一本のDVDに仕立て上げた。これがとにかく濃い。最高速・同乗・ガレージ突撃・夜の雑談まで、千葉くんワールドの旨味と油分を全部入れたような構成だ。いま中古市場で見かけても、手に取れば指先に油が移るような濃度を感じるはず。コレクターズ的に一本持っておくと、当時の編集温度がそのまま棚に保存できる。

“謎のSDカード”と復活の兆し

――2015→2018→2023、断続的に届く“便り”
千葉くんは完全に消えたわけではない。2015年、V-OPTの公式ブログが「妖怪が約10年ぶりに登場!!」と報じ、2018年にも「千葉クンからの便り」が編集部に届いた。そして2023年、今度は“謎のSDカード”が着弾。中身は老舗チューナー“ガレージザウルス”への突撃訪問で、久々の再会に笑う工場の空気までが画面越しに温かい。断続的でも、彼は“あの調子”で生きている。

“千葉くん原体験”が残したもの

――最高速文化の記録、チューナーと視聴者の距離感
千葉くんが残した最大の遺産は、ふたつあると私は思う。ひとつは“最高速文化の生の記録”。雑誌の紙面では伝えきれない音圧や距離感を、当事者目線で残したこと。もうひとつは“チューナーと視聴者の距離感”だ。工場での雑談から車載へ、そしてPAでの立ち話へ。編集によるジャンプカットが、モノづくりと走りを一本の線にした。その線を辿って“速さの世界”へ踏み出した若者は、今も少なくない。 

“噂”とどう向き合うか

――正体論、スモーキー永田“同一人物説”など
ネットには千葉くんの正体に関する噂が絶えない。編集部の誰それ、著名チューナーの別名義、あるいは複数人の合体キャラ説まで。だが、ここは線を引く。スモーキー永田との同一人物説は、当時の映像でも“共演”が確認できる以上、整合性が薄い。編集部関係者が演じるキャラクター説は有力だとしても、公式の断言はない。したがって私は“キャラクターとしての実在”を前提に語るべきだと考えている。

年表で振り返る“千葉くん”

――断片を時間軸に置いてみる
年代 出来事(要旨) 備考
2000年代 ビデオオプション内の企画として定着 最高速・同乗・PA取材など
2005年 特別編集DVDを単独リリース “湾岸の千葉くん Special”
2015年 「妖怪が約10年ぶりに登場!!」と公式ブログ 企画の再燃を示唆
2018年 「千葉クンからの便り」 ガレージ訪問映像など
2021–23年 “謎のSDカード”着弾→Web記事化・動画連動 ザウルス突撃の記録
2025年 “原点は湾岸の千葉くん”と語る若手が登場 影響の継続を確認

いま、私たちが受け継ぐなら

――合法のフィールドで、同じ熱量を
ここから先は宣言だ。私たちは千葉くんを“面白かった過去”として消費するのではなく、熱量の使い方を学ぶべきだ。現代なら富士のストレートやセントラルのアタックデー、トップスピード計測会など、合法かつデータが残るフィールドがいくらでもある。記録を取り、チューナーと笑い、工場で油にまみれ、夜はコーヒーを飲んで解散する。あの頃の“温度”は、場所さえ選べば今も再現できる。千葉くんが画面越しに何度も言っていたように、結局は人とクルマの距離感なのだ。

余談:私の棚の“千葉くん”

――擦り傷のついたプラケースと、指に残るオイル臭
最後に個人的な話をひとつ。私の仕事部屋の棚に、擦り傷だらけの“千葉くん”DVDがある。たまに取り出して再生すると、テーブルに置いた工具箱の匂いと混ざって、当時の夜がふっと帰ってくる。画面の中で誰かが笑い、誰かが驚き、誰かがちょっとだけ危ないことを言う。映像が終わる頃には、私は決まってサーキットのエントリー画面を開いている。合法の場所で、ちゃんと計測して、ちゃんと笑う。そのリズムを、これからも絶やさないために。

安全に関する注記

本稿で触れた“公道最高速/ストリートアタック”は、当時のメディア表現や伝聞としての記録であり、いかなる違法行為も推奨しない。速度域の検証や車両チューニングの評価は、サーキットやクローズドコースなど法令順守の環境で行うことを強く勧める。
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